「見えたぞー!ケープタウンだ!」
フランシス・マッソンはメインマストの上から降ってきた報告を聞くと反射的に左舷前方に目を凝らした。数日間、左舷にはまっすぐな茶色い陸地が続いていたが、それが今は緑の森に姿を変え、海岸線も複雑になってきていた。喜望峰だ。
ケープタウンは大航海時代、アジアからヨーロッパへ茶葉や香辛料を輸送する航路上に位置し、重要な補給地点として栄えていた。現在よく飲まれているルイボスティーの故郷でもある。数か月の航海の末、やっと目的地である南アフリカに到着したのだ。
「では、ごきげんよう」
クック船長と軽く言葉を交わした後、マッソン一行は帆船レゾリューション号を後にした。船は数日間港で補給した後、南極大陸を探しに向かうことになっていた。それはそれで面白そうだ、とマッソンは少し思ったが、それよりも目の前に広がる南アフリカ・ケープ地方の植生研究の方が彼の胸をより高鳴らせた。
マッソンは大英帝国のキュー王立植物園から南アフリカの植物採集の命を受け、派遣されたプラントハンターだ。この時代、薬草栽培から発展してきた植物研究の関心は世界中の植物を集めることに焦点があり、ヨーロッパ各国の植物園がこぞって世界中に収集家を派遣していた。特に南アフリカはほとんど手つかずで、新しい発見があることはほぼ確実だった。
南アフリカはおおむね温暖な気候で過ごしやすいが、北は広大な砂漠、周りは海、と外界から断絶された環境であることに加え、東と西で雨季が逆、極めつけにケープ地方に至っては十年に一度草原が大火事で燃えるという、非常にユニークな環境なのだ。こういった理由で世界中でもケープ地方にしか生えていない植物がごまんとある。
マッソンはケープタウンで8頭立ての牛車とスカンジナビア人の傭兵を雇い650キロメートルにわたる植物探検に出発した。旅を始めて1日目ですでにマッソンはこの探検が成功だったという確信を持った。世界中からたくさんの植物が集められたキュー植物園で庭師をしていたマッソンにすら見たことのない植物が数十種類も見つかったからである。
草原ではあったが草が生えているところは一面の白い砂で、ヨーロッパでよく育てられている野菜の栽培には向きそうにない。おまけに強い風で始終砂が舞い上がっており、小さな砂丘が至る所にできている。それにしても奇妙な植物が目に付く。
葉を落とし、枝だけになった低木の下に葉がくるくるコルク抜きのように巻いた草が生えていた。マッソンは注意深くその植物を掘りおこした。葉は意外と固く、下には小ぶりの玉ねぎのような白い球根がついている。乾燥地帯に生える植物だということは明らかだった。マッソンは注意深く収集箱の中にその植物を収めた。
ケープ地方には少ない雨と、強い日差しの中で身を守るために葉をクルクルさせる植物が多い。このアルブカ・ブルース-ベイエリもその一つだ。
このあたりにはコヘコヘという原住民が住んでいた。およそマッソンが知っている野菜は育ちそうにないが、この砂丘に生えている植物を活用して生きているのは間違いない。彼らならこれらの奇妙な植物についてもっと詳しく知っているに違いないし、やせた土地でも育つ野菜も知ることができるかもしれない。そう思ったマッソンは原住民の話を聞いてみることにした。
南アフリカは当時オランダ東インド会社が支配しており、コヘコヘなど原住民はその多くが奴隷として労働力とされていた。マッソンは村に入り通訳を通してコヘコヘの一人に話を聞くことにする。プラントハンターとして庭師であるマッソンが派遣されたのはこういった情報収集のための側面も大きい。押し花の様な乾燥標本だけでは植物のすべてを知るのは難しいため、どうしても植物園に生体を持ち帰り、栽培してみる必要があるのだ、庭師なら栽培にどのような情報が必要かわかる。
コヘコヘの一人が到着するとマッソンは大きい葉っぱを付けたこぶしくらいの球根を指してみた。
「これは毒の球根、矢毒を作るのに使う」
続けてごつごつした亀の甲羅のような芋を指した。
「これでパン作る。茂みの中によく生えてる。」
マッソンは聞いたことや、植物採集のときに生えていた場所、気候、土壌の状態などすべて書き留めた。3年にわたる南アフリカ探検400以上の植物をイギリスに送り、キュー植物園で分類、命名されたのだが、初めて植物を受け取った植物園はその奇妙な姿に大変驚いたという。その植物のうちいくつかはマッソンの詳細な現地の情報のおかげで現在もキュー植物園で見ることができる。
現在市場に流通している植物の中には南アフリカ原産のものもたくさんある。グラジオラスやアイリス、多肉植物のハオルチアなど様々だ。南アフリカという遠く離れた国の植物が日本で楽しめるのは長きにわたる栽培方法の研究の積み重ねのおかげなのだが、その最初の道を切り開いた1人がフランシス・マッソンである。彼が南アフリカで発見した植物の中の一つにマッソニアとして彼の名前が残っている。
くるくる巻いた葉やギザギザに折れ曲がった葉。ネズミに受粉させるために大量の蜜を作る球根などここならではの生存戦略を持った植物がたくさんある。
彼が魅了された南アフリカの植生にはケープ地方だけでも現在6000種以上の固有種があり、新種も毎年のように見つかっている。
《終わり》